母に捧げるエッセイ

息子からお母さんへ感謝のメッセージ!

生きてたらええ

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私が小学5年生の時、
我が家にピンチが訪れます。
父がリストラに遭ってしまいました。

不幸は続くもので
今度は、再就職先で大ケガを負ってしまいます。

父が長期休養を余儀なくされ、
その間、母は家事、パートの仕事
小学生の私、中学生の姉の子育て
父の看病と一家を支えなければなりません。

労災の補償などがあったと思いますが
この時期は、子供ながらに何となく
家計が厳しいと感じ、
お小遣いも少なかった気がします。

でも、そんなことよりも母が忙しく
大変なことが気がかりでした。

そんな中、学校でテストがあり
答案用紙が返ってきましたが
残念ながらというか当然というか
あまり褒められた点数ではなかった。

私は母に答案用紙を渡しました。
点数を見た母は、
「まぁ、ええやん。生きてたらええ」
とポツリと言いました。

たぶん、この頃の母は、心身共に疲れていて
自分に言い聞かせていたのかもしれません。

それから、しばらくして
ケガが治った父が仕事に復帰しました。

そして、私が小学6年生になると
姉が中学3年生で
受験を控えているということもあり
母はパートの仕事を辞めました。

時間ができた母は、夏休みに
私が所属していた少年野球チームの合宿に参加。

練習の合間に父兄が
フリーバッティングをすることになりました。
母も私のヘルメットを被り、
バットを持ってバッターボックスへ。

母は学生時代、
ソフトボール部だったこともあって
外野にバンバンと打球を飛ばします。
何か今までのストレスを発散するかのようでした。

1泊2日の合宿を終え、帰宅すると
ヘトヘトに疲れていた私とは違い、
母は「楽しかったわぁ」と嬉しそう。

話を聞くと私たち子供が寝静まった後に
監督、コーチ、父兄で宴会をしていたらしく
それが楽しかったみたいです。

私は、母の表情が1年前とは違って
イキイキとしていたので
子供ながらにホッとしたのを覚えています。

あれから36年という月日が流れ、
現在、母は認知症脳梗塞で入院しています。

私が面会に行き、話しかけても
反応はほとんどありません。
そんな状態でも母には、
「生きてたらええ」と思っています。

それは、逆境の中でも
私をしっかりと育ててくれた母に
感謝の気持ちを伝え続けたいからです。

私は面会に行く度に
「お母さん。育ててくれてありがとう。
生きててくれてありがとう」
と声をかけています。
反応はありませんが、きっと母に
「思いは届いている」と信じています。

人生は山あり谷あり。
いろんなことがありますが
生きているということは幸せなこと。
生きてたらええんです。